ちゃーこブログ
同居ステップファミリーちゃーこ家の日常
子育て

【急性散在性脳脊髄炎(ADEM)】息子の闘病記〈全容編〉

こんにちは、ちゃーこです。

子供って当たり前のように大きくなるとどこかで思っていた。
しかし、それが当り前じゃなくなる出来事。

「病気」

意識不明、余命宣告、再発、下半身麻痺。
突然息子に起こった原因不明のできごとについて書きます。

息子の場合レアケースだったようで、すぐに急性散在性脳脊髄炎と診断されませんでした。

そのため、他の方との伝え方が違うかもしれません。
また、私は医療には詳しくないので、間違った解釈や表現をしてしまっているかもしれない事をご了承ください。
主治医から聞いた事と、経験した事をそのまま伝えさせていただきます。

現在息子は見た目には後遺症は残らず、日常生活には支障なく過ごしております。
大学生になり、アルバイトもできています。

同じ病気をした方や、闘病をしている方の参考に少しでもなればと思います。

Contents

急性散在性脳脊髄炎(ADEM:アデム)とは?

ワクチン接種後やウイルス感染後に起こる脳や神経、視神経の病気で原因がわからない事もある病気です。(息子の場合は原因不明です。)

症状は人それぞれで、神経症状が出る。

まれな病気で、10万人に1人いるかどうかという確率で発症する。

発症そして入院

息子が小学6年の夏休みが始まってすぐ。

起きてフラフラと壁にぶつかりながら歩いてきて倒れこむ。

慌てて顔をのぞき込むと、
「ちゃーこが2人いる」
「目が回る」
「頭痛い、気持ち悪い」と。
見るからにもうろうとしている。

明らかに普通じゃない。
直感で、動かしたらダメな気がする。

救急車!

救急車が来て病院へ。

その後いろいろ検査をして入院。
その時、
「いつ呼吸が止まってしまうかわからない状態なので、集中治療室で24時間体制で診させてもらいます。」と言われる。

前日まで元気だった息子は、集中治療室に連れて行かれた。

余命宣告されたけど希望の光が見える

翌日から説明やら治療方針やらと忙しくなる。

息子はまだ意識がもうろうとしている。
呼びかけにフッと目を開けても、すぐに眠ってしまう。

病気の説明から余命宣告

小児科の先生と脳神経外科の先生から説明を受ける。

「脳の、それも生命を司っている脳幹という場所に腫瘍らしきものがあります。」

「手術で取り除くことは不可能です。」

「頭を開いて、腫瘍を調べて治療方針を決めます。」

「しかし、これは直すための手術ではありません。」

「そして1年後の生存率は極めて低いです。」

見せてもらった画像は素人目にも背筋が凍るような、頭の中心が真っ白な画像でした。

意識が戻る

集中治療室で5日ほど過ごし、少し会話ができるくらい意識が戻ってきた。
そこで一般病棟に移る。

そこで、今まで指の動きを目で終えてなかった息子の目が、動くようになった!

脳幹に何かがあると診断されてから、ずっと「腫れ止め」を使ってくれていたそうです。
それが効いたのかな?

手術中止

「腫れ止め」だけでこれだけ症状が回復するなんて??
と先生達が息子を見に来る。

そしてすぐにMRI検査。
結果が出て説明を受ける。

「腫瘍と思われていたものが縮んでいます。手術は中止します。」

「この後は投薬で様子を見ていかせてください。」と言われる。

ちゃーこ
ちゃーこ
腫瘍じゃないかもって事?

希望が見えてきた。

ステロイドパルスが効いた!

先生方が素早く対応してくれて、すぐに治療の方針が決まったと連絡が来る。

大量のステロイドを体内に入れるステロイドパルスという治療法を取らせてくださいと言われ、すぐに承諾書にサイン。

3日間で1クール、改善が見られなければ最大で3クールまでできますとの事。

ステロイドパルス前にいろいろ検査をして、ステロイドパルス開始。

退院

ステロイドパルスを2クール受けて回復。

頭にあった恐ろしい白い影も消えました。

ほぼ1ヶ月入院して退院。
小学6年生の夏休みが入院で終わってしまいました。

でも、生きてくれていてよかった。
ただ生きてくれているだけで。

しかし、今回の入院では確たる病名はもらえませんでした。
結果的にはステロイドパルスが効いて回復しましたが、後から先生から聞いた話によると明らかに脳腫瘍の症状と画像から始まっていたそうで、先生達は大混乱したそうです。

そして「あっては嫌ですが、もし再発したら【急性散在性脳脊髄炎】もしくは【多発性硬化症】を疑います。」
と言われました。

再発

退院してからは回復も早く、運動会にも休み休みではありますが参加できました。

しかし、5か月後に再発。

朝、ずりずりと這いつくばって起きてきた息子。
「足に力が入らない。」
「足がおかしい。」

動かそうとすると、
「背中が痛い!」と。

退院の時に再発の恐れも説明を受けていたので、

「あぁ、来てしまった…。」と。

そして病院に連絡。
症状を伝えたら、すぐに救急車を呼んで病院まで来てくださいと。

髄液検査後即入院/すぐにステロイドパルス

連れて行ってすぐに髄液検査。
そして即入院。

今度は背中の中心が真っ白な画像を見る事になってしまいました。

下半身が完全に麻痺してしまい排泄も自分では不可能な状態。
今回は意識はハッキリしていたために、息子のショックは計り知れなかったと思う。

ステロイドパルス3クール

あっという間にステロイドパルスが3クール終わりました。
3クール全部受ける前に回復して欲しかったのですが、叶いませんでした。

それでも、支えがあれば歩けるくらいまでに回復。
排泄は自己導尿を教えてもらい習得。

その後少しずつ回復したところで、リハビリの予定を組んでもらう。

退院/リハビリ

私としては退院が不安ではありましたが、

「病院でできる事は全てやらせていただきました。」

「あとは息子君のリハビリ次第です。」と言われ退院。

その後、中学に入学して体調と相談しながら登校。
行けない事もたくさんありました。

そして半年間リハビリを頑張って、卒業!

その後の息子の頑張りはこちらに書いております。

急性散在性脳脊髄炎という病名が付いた

リハビリ、小児科を卒業する時にやっと【急性散在性脳脊髄炎】という病名をもらいました。

というのも、似たような症状の中に【多発性硬化症】という病気があります。
名前の通り、多発(繰り返す)性の病気です。

そのため、経過観察をしながら繰り返すようなら【多発性硬化症】で、これ以上発症しないようなら【急性散在性脳脊髄炎】と診断します。
と言われていました。

息子の場合一度再発しましたがそれ以上発症しなかったため、結果的に急性散在性脳脊髄炎という病気だったという事になりました。

そして息子はレアケースだったらしく、サンプル採取と学会発表の承諾をしました。

そもそも10万人に1人ほどしか発症しないようなレアな病気のレアケース…。
どんだけ…。。

後遺症

リハビリを卒業したものの、後遺症は残りました。

・足が勝手に動く(自分で抑える事ができるように)

・足の一部に温度を感じない

・思い切り走ると転ぶ。

ここまで回復して今に至ります。
これ以上は回復しないと思いますが、ここまで回復してくれただけでも奇跡だと思っています。

まとめ

一時は命の危険すらあった息子が今も生きている。

人は生きているといろいろと望んでしまいますが、この時は生きてくれているだけでいいと願いました。

そして今も生きてくれています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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